UNDEFEATEDが創業以来、これまでに手掛けてきたフットウェアのコラボレーションをアーカイブするスペシャルコンテンツ。スニーカー市場を沸騰させた超レアなプレミアモデルから、いぶし銀のセレクトが際立つコラボまで、順次ラインナップ。それぞれ時代の要請を受けて完成したUNDEFEATED別注の勇姿を記録に留め、ここに永遠の生命を宿すだろう。

ARCHIVES by UNDEFEATED
Vol.1

ナイキを代表するクラシックなバスケットボールシューズ、ダンクは生誕35周年という節目を迎えて絶好調。カテゴリーを超越したエポックメイキングに相応しい大躍進を遂げている。今年、アニバーサリーモデルとして登場したダンクSPは伝統のカレッジカラーに彩られたオールドスクールな復刻版。ダンク特有のアイコニックなスタイルを踏襲したリミテッドエディションだけに、もはや一次流通で入手するのは至難の技。余程の果報者でなければ、二次流通のプレミア価格で購入せざるを得ない状況に。
世界のスニーカー市場でも圧倒的な支持を得る近年のダンクブームの背景は、著名なヒップホップアーティストに寵愛されたり、ヴァージル・アブローやトラヴィス・スコットらの手掛けたスペシャルエディションの存在など、様々なファクターが要因として挙げられるだろう。またダンクが投機の対象になっているのも否定できない。ただ元を糺せば、ダンクが生まれながらに80年代のキックス然とした洗練されたスタイルを持ち、前衛的なクリエイターの発想を具現化できるポテンシャルが備わっていればこその成功であり、その前提なくして今日のダンクブームは望めなかったに違いない。
かつて、UNDEFEATEDの創業者であるエディ・クルーズがナイキとの記念すべき最初のコラボレーションにダンクを選んだのは偶然だったのかもしれないが、そのアッパーをホワイトレザーで覆った感性の鋭さについては異論を差し挟む余地はないだろう。そこで今回、ダンクの起源を訪ねて1985年から初めてのナイキコラボが実現する2002年頃までを対象に、各時代のスニーカー事情を踏まえつつ、ダンクの果たした役割を詳解する。UNDEFEATED別注のホワイトダンクがもたらした衝撃や如何に−−。

NCAAトーナメントの強豪校に向けて、各校のスクールカラーで配色されたバスケットボールシューズを提供する……そんなコンセプトに基づき1985年に登場したナイキダンクは、ハイカットとローカットの2型にオリジナルカラーを各7色展開。ホワイト/ネイビー=ビラノバ、ホワイト/レッド=セント・ジョーンズ、ホワイト/オレンジ=シラキュース、ホワイト/ロイヤルブルー=ケンタッキー、ゴールド/ネイビー=ミシガン、ブラック/ゴールド=アイオワ、グレー/レッド=ネバダ・ラスベガス校というのがカラーと対象校のラインナップ。これに1984年発売のターミネーターのグレー/ネイビー=ジョージタウンを含むトータル8型で構成されたのがカレッジカラープログラムである。当時のプロモーションにはターミネーターとダンクが兄弟のように同格で扱われていた。

カレッジリーグはもとよりNBAでさえもバスケットボールシューズと言えば白ベースという保守的な思想に凝り固まっていた当時のマーケットにおいて、ダンクの存在が如何に革新的だったかは言う迄もない。同じく1985年に発売されたマイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルと共に、バスケットボール界の古いしきたりや同調圧力に屈することなく自らの信念を貫こうとするダンクやターミネーターの闘いは、バスケットボールファンの目を釘付けにしただろう。スクールカラーで配色されたダンクは特に華やかで、それを履いてプレーする選手たちにもポジティブな影響があったに違いない。愛校精神を喚起することで選手同士の絆も深まりチームプレーにも作用した。それこそがナイキが意図したカレッジカラープログラムの真髄であり、80年代後半のNCAAリーグでナイキのサポート校が躍進していた事実からもよく分かる。

そして、もう一つダンクが80年代半ばにナイキが到達していたテクノロジーの最高峰を惜しみなく投入している点にも注目したい。既存のエアフォース1やエアシップに次いでエアジョーダン1でも採用されたエアクッショニングシステムとは残念ながら無縁だったが、アンクルスタビライザーやフレックスノッチなど当時の先進テクノロジーを凝縮したバスケットボールシューズとしてのスペックは、最高水準と言っても差し支えないレベルである。チームモデルにしてパフォーマンスモデルの役割も担っていたダンクは、それでも1年後にはインラインから卒業し、後進のチームモデルへそのバトンを託した。

ちなみに1985年当時、日本未発売だったダンクは一部のコレクターに支持されるマニアックな存在に過ぎなかったが、暫くのちのヴィンテージ市場ではその色鮮やかなラインナップが注目を浴び、デッドストックの争奪戦が繰り広げられていく。日本では主にヴィンテージファンの間で支持されたのがダンクでありターミネーターだった。

一方、本国アメリカでは通常の販売スケジュールから外れてしまった在庫品を処分すべく割引価格によるセールが始まった。スポーツショップの店頭ワゴンにうず高く積み上げられたダンクのシューズボックス。このとき縁もゆかりもないカレッジカラーのバスケットボールシューズを虎視眈々と狙っていたのがスケートボーダーのコミュニティだった。競技の特性上、頑丈な素材と製法のハイトップが何より求められるスケーターにとってシューズはあくまで消耗品であり、次々と履き替えるためにも安価でなければならなかった。それ以前にはブレーザースエードのハイカットが使用されたが、新たにセール対象となるダンクはカラフルで頑丈で安価という条件を満たしており、当時のプロスケーターにも愛用者が多かった。そうしてレギュラーとグーフィーの型の違いで異なる左右の傷んだシューズを交換し、左右色違いでダンクを履くカルチャーが生まれる等、スケートコミュニティの深部にまでダンクの存在が浸透した。
この歴史的な事実を踏まえて2002年に登場したのがダンクプロSBである。元々、エアクッショニングシステムを導入したエアフォース1のような厚いソールユニットよりエア非搭載のダンクの薄いソールの方が足裏感覚に優れていた。そのダンクをベースに分厚いシュータンやズームエア搭載のソックライナーなどディテールをブラッシュアップし開発されたダンクプロSBがその後どんなシューズに成長したかは誰もが知るところだ。80年代後半に運命的な出会いを遂げていたダンクとスケートボーダーの蜜月は終わりそうにない。

全国で在庫処分されたダンクが再び脚光を浴びるのは、日本人のバイヤーが全米各地でデッドストックの捜索を開始したのがきっかけに。既に在庫処分を経て絶滅したかに思われていたダンクのデッドストックがスポーツショップの倉庫で発見されたり、フリーマーケットでたまたま出品されたり、ヴィンテージの捜索能力に長けたバイヤーの暗躍は90年代まで続く。日本では古着屋の陳列棚に収納された宝物としてダンクが崇められ、またアメリカではヴィンテージディーラーの活躍により希少価値の高いデッドストックが収集されていた。90年代後半には『Boon』を筆頭にストリート情報誌で頻繁にヴィンテージのバスケットボールシューズが特集され、その度に日本市場ではダンク待望論が声高に叫ばれ、大きなうねりを生じていた。そして1999年、遂にダンクの復刻盤がリリース。その先陣を飾ったアメリカよりも断然、日本市場の熱狂ぶりが群を抜いていた。スクールカラーのハイカットを展開した第1弾に次いで、続々とラインナップを増やし始めたナイキは、ダンク復刻の機運を盛り上げた功績として日本限定発売のシリーズを展開。それが9組18型からなる裏ダンクであり、カラフルなスエードを配色したダンクロープロBである。
カレッジカラー同様に2トーンカラーで配色されたダンクとその配色を反転したダンクが同時リリースされる画期的なプロジェクトだったが、いまや日本限定という希少性が評価され、軒並み販売価格の3~5倍、配色次第では10倍ものプレミア価格で取引されるケースも。その絶妙な配色を支持する声は今も多く、新たなヴィンテージダンクの筆頭に挙げられている。また裏ダンクのシリーズが完結した直後、突如スケートボード仕様を思わせるぶ厚いシュータンやスエードアッパーが特徴のダンクロープロBが登場。明らかに2002年より発足するナイキスケートボーディングの試作品の疑い濃厚、話題性も充分だったが、裏ダンクの熱気に当てられ朦朧としていた隙間に入り込み、当時はあまり注目されなかった。2年後の2001年にはマルチカラーのバイオテックを筆頭に再びダンクロープロBが登場したものの、折しもSTUSSY共同製作のダンクが発売された直後で市場は大荒れ、こちらも現在ほどの熱量でダンクを見詰めていたとは言い難かった。

これに前後して、ナイキでは新たなプロジェクトが次々と始動し、空前絶後の賑わいを見せ始めていた。その一つ、アルファプロジェクトでは通常よりも長期の研究開発に取り組み、革新的なテクノロジーを搭載したエポックメイキングを輩出するスペシャルチームが結成された。2000年に発表されたナイキの最新テクノロジーだけでも、エアプレストやエアウーブンといった大物が並び、勢い余ってハイテクが渋滞を起こす事態に、逆にナイキの先進性が証明された。
更に時間を少し巻き戻せば、ナイキショックスの発表も同じ2000年のこと。エアクッショニングシステムに対抗する全く新しい衝撃吸収の可能性をミッドソールに搭載したコラムに託す。バネのような反発係数の高さを誇るコラムがアッパーとアウトソールを繋ぐ支柱として機能するテクノロジー。ここでも瞬間的にはナイキエアの転換期を迎えた気分に浸ったものだが、結果はさに非ず。当時の最先端テクノロジーを一括して研究していたアルファプロジェクトではその後も斬新なアイデアが具現化され、時代の徒花的なプロダクトも少なからず存在した。そうして、それらの研究開発とは対照にあるダンクの歩みは淡々と続く。

それから1年弱を経て、世界のスニーカーヘッズを仰け反らせた衝撃的事件が……。そう、ロサンゼルスを拠点にスニーカーカルチャーの発展に貢献してきたUNDEFEATEDがダンクのプロモーションモデルを別注、大いに話題を呼んだ。エディ・クルーズ率いるUNDEFEATEDは創業以来、スニーカーブティックの先駆けとして常に注目の的であり続けてきたが、その初めてのコラボレーションにダンクを選び、それまで色を競い合ってきたダンクを真っ白なレザーで覆うアイデアは見事なゲームチェンジと言えただろう。
アッパーを構成するベースレイヤー、トゥガード、スウッシュ、アンクルスタビライザー、ヒールカップなど全てのパーツをホワイトのスムースレザーで統一。シュータンや織りネームも同様にホワイトで配色、唯一色味があるのはヒール側面に刻まれたUNDEFEATEDの象徴”ファイブストライク”の刺繍と淡いグレーで色付けされたアウトソールの2箇所のみ。このシンプルを極めたホワイトダンクの存在を爆上げしたのがプロモーションモデルという耳慣れない肩書きだ。これは一般販売を前提としない極めて少数の生産ロットで製作された場合に用いられる呼称で、UNDEFEATEDのホワイトダンクの場合も約50足という限定数のみ生産され、オーナーの親族やスタッフなど関係者に配布したのみで終了した。
究極のレアモデルであるがゆえに市場で売買された記録も見当たらず、今後も恐らく流通することのない門外不出のホワイトダンク。その稀少性をキープしたまま約20年もの時を過ごした今もなおプロモーションモデルとしてのオーラをまとう。UNDEFEATEDコラボ大全のトップを飾るに相応しいモデルである。

ナイキダンクが復刻されて以来、裏ダンクや日本限定のバイオテックなど一連のモデルがリリースを終えた端境期に登場したのがUNDEFEATED共同製作のコラボモデル。ホワイトレザーに包まれたアッパーは側面に”ファイブストライク”の刺繍を施し、ツーリングはアウトソールに淡いグレーを配色したトーナルカラー仕様。約50足限定のプロモーションモデル。

HISTORY OF UNDEFEATED 2020

Feature “NIKE DUNK”
Be True to your crew

UNDEFEATEDでは2020年2月のCOJP企画の復刻“Plum”を皮切りに、NIKE DUNKにフィーチャーしてきました。”Be True to your crew”をキーワードにこれまでの行われてきたシューティングをオムニバスムービーとして制作。ぜひご覧ください。また、UNDEFEATEDよりそれぞれのDUNKをセレブレートしたフックアップTEEも好評発売中。詳細は下記商品ページより。


岸 伸和 – Nobukazu Kishi Exclusive
1972年生まれ、神奈川県出身。雑誌『Boon』(祥伝社) にてライターとして活動を開始。90年代のスニーカー全盛期には同誌のスニーカー特集や別冊の多くを担当、以降ライフワークの一環としてスニーカーを嗜んでいる。近年はアパレルブランドのカタログやWEBコンテンツの制作ほか、ブランドやクリエイターの活動をアーカイブした書籍を手掛ける。

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