UNDEFEATEDが創業以来、これまでに手掛けてきたフットウェアのコラボレーションをアーカイブするスペシャルコンテンツ。スニーカー市場を沸騰させた超レアなプレミアモデルから玄人趣味のアレンジが際立つコラボまで順次ラインナップ。それぞれ時代のカラーを映してきたUNDEFEATED別注の勇姿を記録に留め、ここに永遠の生命を宿すだろう。

ARCHIVES by UNDEFEATED
Vol.3

NIKE CORTEZ BASIC SP UNDFTD

UNDEFEATEDが2015年11月にリリースしたナイキ共同製作のコラボモデルは、ナイキコルテッツをベースにL.A.ブランドらしいアレンジを施したスペシャルエディション。ナイキコルテッツと言えば、クラシックなスニーカーを代表する定番中の定番として誰もが知る存在だが、それ故に完成されたスタンダードなフォルムは手を加える余白に乏しく、別注モデルのベースに使用された実績にも欠ける印象は拭えない。それでも、ナイキの歴史的なアイコンをカスタムすることに意義を見出したのがUNDEFEATED別注のレザーコルテッツである。

 そもそもナイキコルテッツの起源は1960年代、ナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社の時代にまで遡る。ナイキブランドが発足する以前は、オニツカタイガーに生産を委ねた日本製のトレーニングシューズとして米国で人気を博し、ナイキ設立以降も高品質なトレーニングシューズの定番として広く認知され、ナイキの歴史の伴奏者たる役割を長年に渡って果たしてきた。そこで本稿では、ナイキコルテッツの誕生前夜からオニツカタイガー社との恩讐の彼方に、クラシックナイキが誇るキング・オブ・ベーシックへと成長を遂げた軌跡を辿り、ナイキ創成期の歴史をトレースしたい。

 ナイキの創業者であるフィル・ナイトは、オレゴン大学陸上部で中距離ランナーとして活躍した後、米陸軍への参加を経て、スタンフォード大学のビジネススクールで学位を取得。ビジネススクール在学中には「高品質かつ低価格の日本製のスポーツシューズがカメラ製品と同様、ドイツ製の老舗ブランドと渡り合えるか」をテーマに研究する等、早くから生産拠点としての日本に注目していたナイトは、1962年11月には卒業旅行で日本へ。その途上、神戸のオニツカ(現アシックス)本社で創業者の鬼塚喜八郎(当時44歳)と面談し、タイガーシューズの品質の高さと生産コストの低さを絶賛した。このとき鬼塚は20歳下の米国人青年に年齢差よりシンパシーを感じたと云う。「裸一貫で事業を始めたいとの彼の心意気に創業当時リュックをかついで全国を歩いた自分の姿が重なり、この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした」(日経新聞「私の履歴書」より)。

 こうして北米西地区におけるオニツカタイガーの販売代理店契約を取り付けたナイトは1964年、オレゴン大学陸上部時代のコーチだったビル・バウワーマンと共同でBRS社を設立。当初は店舗を持たず、自家用車の後部座席に日本製のタイガーシューズを積み込んで各地を訪問販売して回っていた。一方、バウワーマンは陸上競技のコーチングの傍ら、日頃からシューズの機能性やテクノロジーの研究に取り組んでいたが、BRS社ではタイガーシューズの輸入販売に止まらず、アメリカ市場のニーズを反映したシューズを生産すべく、バウワーマンの研究成果を新製品のアイデアとしてオニツカに提供、シューズの共同開発を積極的に推進した。

 そして1968年、バウワーマンが軽量かつクッショニングに優れたトレーニングシューズを企画し、オニツカが生産する形で完成したのが「タイガーコルテッツ」。言う迄もなく、後世のナイキコルテッツへと繋がるルーツである。スムースレザー製の耐久性に優れたアッパー、足を包み込むような紡錘形のフォルムの側面に精悍なタイガーストライプ、帯状のトゥガードと踵に折り込まれたヒールパッド、更につま先に巻き上がったEVAラバー配合・2層構造のミッドソールが軽量かつクッショニングに富んだ快適な履き心地を提供する。その革新的なパフォーマンスとエコノミカルな価格設定で米国の陸上界を賑わせたタイガーコルテッツがオニツカタイガーを代表する看板モデルになるまでそう多くの時間を必要としなかった。

 このタイガーコルテッツ以外にも、バウワーマンのアイデアで製品化されたBRSとオニツカタイガーのコラボモデルはのちに悉くナイキブランドへと受け継がれ、1970年代を象徴するランニングシューズへと成長する。こうしてバウワーマンのシューズ開発における知見の正当性が証明されたBRS社では、自社ブランドの創設準備を水面下で進め、オニツカとの契約が切れる1971年を以てビジネスパートナーとしての関係を解消した。突然で一方的なパートナーシップ解消の通告に困惑した鬼塚は、当時を振り返って「BRS社と販売会社設立の計画を進めていたところ、日本の商社の勧誘で他のメーカーからの仕入れに切り替えてしまった。驚いた私はすぐに別の販売店と契約したが、日本の商慣習になじまないそのドライな行動に裏切られた気がしたものだ」(日経新聞「私の履歴書」より)。

 BRS側もオニツカとの契約解消に至った理由として、輸入品ゆえの不安定な供給状況等を挙げたが、本音を言えば、自社ブランドの発足に目処がついたことが最大にして唯一の理由だろう。BRS社はオリジナルのトレーニングシューズを福岡・アサヒコーポレーションに製造委託し、オニツカとの契約解消後の1971年には「NIKE」の名義でスウッシュをアッパー側面に縫い付けたシューズを発売。その一つがバウワーマンの設計に基づきオニツカが製造してきたタイガーコルテッツをスウッシュで刷新したナイキコルテッツである。特に初期型はスウッシュのロゴマークとシュータンの織りネーム以外、ほぼタイガーコルテッツと見分けのつかないレベルだったが、それ以上に問題視されたのが商標権の帰属だった。元々「コルテッツ」という名称はBRS社が考案し、バウワーマンの技術的なアイデアと共にオニツカへ提供されていた為、契約解消後もなおオニツカが「タイガーコルテッツ」の名称を使用しているのは商標権の侵害だとして、BRS社がオニツカを提訴した。この「コルテッツ」という商標権の帰属を巡る訴訟は、最終的にオニツカが「タイガーコルテッツ」を「タイガーコルセオ」に名義変更することで和解に応じ、弁護士費用を含めた和解金は1億数千万円に達したと云う。米国から夢と情熱だけを抱えて神戸のオニツカ本社を訪ねてきた若者に自らの青年時代を重ねて契約を交わした結果とはいえ、あまりに苦い結末を迎えたBRSとオニツカの蜜月は約10年で幕を閉じた。

 BRSを前身に1971年以降、自社ブランドの製品開発をスタートしたナイキは、ランニングシューズを筆頭にトレーニングシューズやコートシューズなど徐々にバリエーションを拡大し、いくつかのヒット商品にも恵まれた。その代表的なモデルの一つがナイキコルテッツであり、アッパーの素材違いでレザーコルテッツ、ナイロンコルテッツ、スエードコルテッツをラインナップ、1970年代を象徴するスニーカーの一つと言っても過言ではなかった。その証拠に1970年代後半の米国のランニング専門誌『RUNNER’S WORLD』では、各メーカーのシューズを対象に独自に査定した上位ランキングを誌上で公開する名物企画があり、トレーニングシューズ部門でナイキコルテッツも選出されていた。同じく1970年代を通してワッフルソールやエアクッショニングシステムなどナイキ独自の革新的なテクノロジーを発表し、1980年代にはエアジョーダンやエアマックスといった人気シリーズがブランドの急成長を牽引してきたが、それ以前のナイキ創成期を支えた功績で言えば、ナイキコルテッツを超える功労者は見当たらないだろう。

 徐々にワッフルトレーナーやLDVなど後発のランニングシューズにパフォーマンスモデルとしてのポジションを譲ったものの、1980~90年代に渡ってナイキコルテッツがランニングカテゴリーのエントリーモデルとしてカタログに掲載されないことはなかった。またインライン以外にも様々なリミテッドエディションが展開され、スニーカーファンの注目を集めた。なかでも1980年発売の日本企画のレザーコルテッツDXIIは、サックスブルーとネイビーとグレーを基調にカラーレザーで配色されたスペシャルエディションは有名。この他、オレゴン大学やUCLAなどカレッジカラーで配色した全7色のスペシャルナイロンコルテッツ然り、ファブリックの経年変化を表現したナイロンコルテッツのヴィンテージシリーズもまた然り、これまで数多のリミテッドエディションが展開されてきた。映画『フォレストガンプ』でナイキコルテッツがフィーチャーされたのも記憶に新しい。更に近年では正確な足の動きを促すフライモーション仕様のコルテッツやナイキラボ企画のローシコルテッツといったハイブリッドモデルも登場し、ナイキコルテッツの新たな可能性を示唆した。

 それぞれの過程でナイキコルテッツが果たしてきた役割も時代と共に変遷し、1960~70年代にはパフォーマンスモデルとして活躍したものの、1980年代以降はランニングカテゴリーのエントリーモデルという位置付けで継続リリース。そして現代ではナイキのトラディション=伝統、あるいはレガシー=歴史遺産を象徴するブランドのアイコンとしてコルテッツは今なお新作を発表している。近年リリースされたエポックメイキングでは、蓄光塗料の虎縞をあしらった寅年記念のタイガーコルテッツ(2010年)、生誕40周年記念のレザーコルテッツ(2012年)、J.CREW別注のヴィンテージコレクション(2014年)、ブラジルオリンピックをイメージしたゴールメタリックコルテッツ(2016年)、ローカルなLAカルチャーを反映したロサンゼルスエディション(2017年)等が話題を集めたが、その渦中にあって独創性で際立っていたのがUNDEFEATED共同製作のナイキコルテッツだった。

 モダンなフォルムに進化を遂げた紡錘形のシルエットにブラックとブルーを配色したレザーアッパー。左右のヒールパッドに一文字ずつ”L”と”A”を刻印したホームタウンプライド溢れるカスタムワーク。LA発祥のストリートブランドに相応しいディテールとカラーパレット……。UNDEFEATED別注のナイキコルテッツレザーはアイコニックなカスタムワークである。

by NOBUKAZU KISHI EXCLUSIVE


岸 伸和 – Nobukazu Kishi Exclusive
1972年生まれ、神奈川県出身。雑誌『Boon』(祥伝社) にてライターとして活動を開始。90年代のスニーカー全盛期には同誌のスニーカー特集や別冊の多くを担当、以降ライフワークの一環としてスニーカーを嗜んでいる。近年はアパレルブランドのカタログやWEBコンテンツの制作ほか、ブランドやクリエイターの活動をアーカイブした書籍を手掛ける。

SOCIAL MEDIA