adidas Originals SUPERSTAR LACELESS – WHITE
FV3017

言わずと知れたドイツ発祥の名門スポーツブランドであるadidas。
常にアスリートの意見に耳を傾け、革新的なアイデア、
そしてそれを具現化することの出来る卓越した技術力に裏打ちされた
マスターピースを生み出し続けている。

言わずと知れたドイツ発祥の名門スポーツブランドであるadidas。常にアスリートの意見に耳を傾け、革新的なアイデア、そしてそれを具現化することの出来る卓越した技術力に裏打ちされたマスターピースを生み出し続けている。

兄弟がたもとを分かち
はじまった「adidas」
兄弟がたもとを分かち
はじまった「adidas」

その歴史は1920年にAdolf “Adi” DasslerとRudolf Dassler兄弟によって靴製造会社として設立されたことにより産声を上げ、1924年には体育館用シューズの開発・製造を開始、Adolf自身がスポーツ選手であったことから、スポーツ選手一人一人に合ったシューズが必要であると判断したことからスポーツに特化したシューズの開発を進めることとなる。1928年にはアムステルダムオリンピックで多くの高品質なシューズを選手たちに供給し、会社としてのインターナショナルな発展の礎を築くこととなった。第二次世界大戦後に兄弟二人が各々独立し、Rudolfは後のpuma、Adolfによってadidasが設立され、数々の名作が世に送り出されることとなる。

NBAコートを席巻した
スリーストライプス

1969年、adidasにとって最もアイコニックなシューズの一足であるSUPERSTARが誕生、コートデビューを果たす。バスケットボール用のシューズとして開発されたSUPERSTARは、それまでのバスケットボールシューズではキャンバス製アッパーが主流であったが、オールレザーを用いた前例のない素材使いをすることによって耐久性の向上と軽快でコンフォータブルな履き心地を両立することに成功。SUPERSTARの登場当初NBA最下位チームであったSan Diego Rocketsによって着用されたことを皮切りに、試合そのものがSUPERSTARのプロモーションとなったように愛用者が増え始める。当時NBAで活躍したスタープレイヤーKareem Abdul Jabbarをして「まるで素足に3本線がプリントされているようだ」と言わしめたことなどから、秀逸な逸品であったことが分かる。貝殻をモチーフにしたラバー製のシェルトゥ、滑らかなレザーのアッパー、サイドに配置されたブランドを象徴するスリーストライプスの携えたSUPERSTARは瞬く間にコートを席巻し、1970年代にはNBA選手の過半数が着用していたといわれるほど、アスリートからの熱い支持を得ていた。

コートからストリートへ
輝きを失わない「SUPER STAR」

1980年代になるとHip Hopミュージックの台頭により、コートからストリートへとその人気と支持は飛び火することとなる。1986年、New YorkはDEF JAM RECORDS所属の2MC・1DJのHip Hopグループ、Run-D.M.C.との邂逅によりSUPERSTARは更なる躍進を遂げる。Run-D.M.C.の定番ルックはKANGOLのハット、極太のゴールドチェーン、そしてシューレースを外してシュータンを押し出して履くSUPERSTARであった。Hip Hopという局地的音楽ムーブメントをオーバーグラウンドにまで押しあげた立役者であるRun-D.M.C.による愛用は、ストリートシーンにSUPERSTARを波及させることに大きく寄与したことは言うまでもない。Hip Hopアーティストとして初めてadidasとの契約を果たすこととなったRun-D.M.C.によってスポーツとストリートのクロスオーバーは果たされ、今日まで活き続けるファッションの一つの大きなエレメントとしてその地位をさらに確かなものへと高めていったのである。90年代に入るとストリートアイコンのみならず、スケートボードなどをはじめとするアクションスポーツシーンにも愛用されるなど、現代に至るまで色褪せない繁栄を遂げていった。

adidasにとってバスケットボールシューズとしての革新を果たし、そしてサブカルチャーとは切っても切り離せない蜜月の関係を築き上げるきっかけとなった不朽の名作SUPERSTAR。スニーカー界の“一番星”として誕生より50年以上を経てなお輝きを増す、KING OF KICKSとしてこれからも君臨し続けることだろう。

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