NIKE AIR MAX 95 OG
CT1689-001

日本における空前絶後のハイテクスニーカー戦国時代へと導いた立役者、
NIKEにとってのレガシーの一ページ、
テクノロジーの一つの到達点としてのAIR MAX 95。

日本における空前絶後のハイテクスニーカー戦国時代へと導いた立役者、NIKEにとってのレガシーの一ページ、テクノロジーの一つの到達点としてのAIR MAX 95。

スニーカーの歴史上、
最も成功を収めたであろう一足
NIKE AIR MAX 95
スニーカーの歴史上、
最も成功を収めたであろう一足
NIKE AIR MAX 95

元NASAの技術開発者であったFrank Rudyによって他業種で生かせるクリエイティブなソリューションを開発するべく、画期的で大胆なアイデアによって生まれたAIR。スポーツ用シューズのソールの中に小さな空気のバッグを入れ、それによってクッショニング性能を向上させるという技術は、NIKEの創設者の一人であるPhil Knightによって採用されることで、その後のシューズの歴史を一変させるほどの革新となった。1979年のAIR TAIL WINDによって始まったNIKE AIRの歴史は、1987年に天才シューズデザイナーTinker HatfieldによってデザインされたAIR MAX 1がリリースされたことによって新たな系譜をスタートさせる。AIRの露出、つまりテクノロジーの可視化という画期的デザインの進化を遂げたこと、そしてまたAIR MAXシリーズのスタートというNIKEの数ある歴史の中でも外すことの出来ないレガシーの口火を切った瞬間であった。

人体構造をイメージした
革新的デザイン

時は流れ1995年、AIR MAXシリーズにとって最大のセールスを記録し、今なお多くの人々に支持を得続けるAIR MAX 95がリリースされる。元々AIR TOTAL MAXというコードネームを与えられていたこのシューズは、前足部と後足部の両方、視認性において完全なAIRのビジブル化を果たしたこと、トータルな領域でのMAX AIRの配置の成功からその名を付けられることとなった。90年代中ごろからNIKE ACGの分野に従事していたSergio Lozanoは、大柄の力強いランナーをイメージし、そのランナーが走るときに必要な最大化したクッショニングを保持するデザインを試みた。人体からインスピレーションを得て創作され、シューレースの構造はあばら骨、アウトソールは背骨、アッパーは筋繊維をイメージし、合成スエード、ステッチ、圧縮成型を重ねたアッパー構造を求めた大胆な発想によって長時間着用しても不快感なく最大限のサポート力をランナーにもたらすシューズを実現することに成功したのである。

ファーストカラーとして鮮烈に人々の記憶に焼き付いた通称“イエローグラデーション”は色を使ってテクノロジーとシューズに込めた機能性を強調するために考えられたものであり、その結果それまでのランニングシューズとは一線を画したインパクトを持ち、抜群の配色のコントラストが生まれた。

ハイテクスニーカーブームを
代表する名機

1995年、日本で空前絶後のハイテクスニーカー戦国時代へと導いた立役者、AIR MAX 95。当時あまりの人気ぶりから“エアマックス狩り”という言葉が誕生し、AIR MAX 95は社会現象となったことは周知の事実だろう。しかし、日本においてこの社会現象がその後のスニーカーカルチャーを育むこととなったことは確かであり、それが無ければ日本のスニーカーカルチャーの土壌は今よりも成熟したものではなかったといっても過言ではない。

前足部のビジブルAIRを初搭載することに成功したAIR MAXというNIKEのテクノロジーの観点、日本を中心としたスニーカーカルチャーにとってもエポックメイキングな一足であり、これまでに数々のブランドやショップとコラボレーションモデルや別注商品が作られ、まさに日本のストリートから火が付き日本のストリートで発展を遂げた日本・東京を代表する名機といえるだろう。

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