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NOW & ZEN.032 NIKE DUNK 35th ANNIVERSARY DUNK LOW SP

NOW & ZEN.032 NIKE DUNK 35th ANNIVERSARY
DUNK LOW SP

今を遡ること35年前、NCAA(全米大学体育協会)のバスケットボールリーグに加盟する名門校のスクールカラーに彩られ登場したナイキダンク。オリジナル発売の1985年と言えば、エアフォースからエアシップを経てエアジョーダンがようやくNIKE AIR初搭載のシグネチャーモデルとしてデビューを果たし、その他多くのバスケットボールシューズは未だエアクッショニングシステム非搭載という牧歌的な時代だった。その中でもダンクはアンクルスタビライザーやフレックスノッチシステムなど先進的なディテールを凝縮したパフォーマンスモデルとして、何より選手の愛校心を掻き立てるスクールカラーの配色が圧倒的な存在感を発揮していた。

オリジナルとして展開されたダンク7型とそれぞれの該当校は下記の通り。
ホワイト/レッド(セント・ジョンズ、ノースカロライナ州立、メリーランド・カレッジパーク校、ジョージア大学)
ホワイト/ネイビー(アリゾナ大学、ビラノバ大学)
ホワイト/ブルー(ケンタッキー大学)
ホワイト/オレンジ(シラキュース大学)
グレー/レッド(ネバダ大学ラスベガス校)
ゴールド/ネイビー(ミシガン大学)
ブラック/ゴールド(アイオワ、パーデュー大学)

当時のプロモーションでは、ダンクと共に84年発売のターミネイターのグレー/ネイビー(ジョージタウン大学)を加えた計8型で、スクールカラーに忠誠を誓う”BE TRUE TO YOUR SCHOOL”キャンペーンを展開。NBAの登竜門であるカレッジリーグへの関心の高さを物語るダンクとターミネイターの存在だが、ナイキではカレッジリーグにフォーカスしたバスケットボールシューズをその前後から継続的にリリースし、ビッグナイキ、チームコンベンション、チームデルタフォースといった名機を後世に残したのである。

fig.01 Be True To Your School. (1985)

そもそもホワイトベースのバスケットシューズが主流だった80年代半ばのマーケットに、これらスクールカラーのダンクやターミネイターが及ぼしたインパクトは絶大で、コートの内外で大いに注目を集めたのは間違いない。だが、果たして話題性がセールスに直結していたか否かは別問題だ。と言うのも、マーケットでは余剰在庫の割引セールが繰り広げられ、シューズの消耗の激しいスケートボーダーが派手なカラーのバスケットボールシューズを愛用したという逸話まで伝えられている。ただし、このダンクとスケートボードコミュニティの偶発的な繋がりがのちに巨大なムーブメントを巻き起こすことになるのだが……。

一方、NCAAのカレッジリーグとは縁遠い日本のマーケットにおいても、90年代には古着ファンを中心にエアジョーダンやダンクといった廃盤のバスケットボールシューズが人気を集め、秘かに争奪戦が始まっていた。とりわけ未使用のデッドストックは軒並み市場価値が高騰。アメリカ大陸を奔走する日本人バイヤーによってデッドストックは漁り尽くされ、もはや一部のヴィンテージコレクターの間で嗜好品として取り引きされるのみという枯渇状態に陥った。もはや高嶺の花となったダンクについては、当時のストリートファッション誌『Boon』で復刻して欲しいスニーカーランキングを集計すると、常に上位を独占し、ヴィンテージスニーカーの代名詞的な存在にまで祭り上げられていた。同様にヴィンテージファンに崇拝されたエアジョーダン1が1994年に復刻されたのに対し、ダンクには一向にその気配がないまま90年代も終わろうとしていた。

fig.02 The 1st Reissue of Dunk (1999)

fig.03 Be Nike COJP “Ura Dunk” (1999)

ところが1999年春、伝統のスクールカラーをまとったダンクが遂に復刻。この朗報に日本のスニーカーファンは熱狂した。これに”NYC”や”USA 2000″などの刺繍を施したリミテッドエディションも登場。またローカットの復刻版も追加リリースされる等、ダンクを巡るスニーカー市場の動きが一段と激化する。同年秋以降はナイキジャパン企画のCOJPより、2トーンカラーの配色を反転させた通称「裏ダンク」が発売されるに至り、日本市場でもダンク旋風が吹き荒れた。断続的にトータル9組18型の表と裏のダンクを展開したナイキでは、ミレニアムの勢いそのままに2001年には史上初のアパレルブランドとのコラボレーション、STÜSSY共同製作のダンクハイをリリース(オーストリッチ及びスネークのエンボス加工を施した2色展開)。同じ時期、ウータン・クランのアイコンをヒールに刺繍したプロモーション仕様のダンクハイもまた大きな話題を呼び、スニーカー市場全体に再び活気が戻ってきた。

fig.04 Dunk High Plus B for Stüssy (2001)

fig.05 Dunk Low Pro B for Active Sports (2000)

日本市場では待ち焦がれたダンク復刻に続き、裏ダンクがCOJP企画で展開される等、90年代後期のハイテクスニーカーブームとは質の違うムーブメントを迎える過程で、99年から00年に掛けてリリースされたCOJP企画の第2弾がダンクロープロBである。当初、ブルーとオリーブスエードのソリッド仕様で登場したローカットは、分厚いシュータン、ファットシューレース、ガムラバーアウトソールを採用したアクションスポーツ対応モデルだった。その来歴はこれらの装備に加えて、ダンクロープロBの名称からも察せられる通り、翌02年にリリースを控えたナイキスケートボーディングの看板モデル、ダンクプロSBの言わばプロトタイプだろう。だが、これに次いで01年にリリースされたCOJP企画の第3弾は、ダンクロープロBという名称を受け継ぎながらスケート仕様の装備は消失。その替わり、パネルごとに配色されたマルチカラーが支持され、ダンクの歴史に新たな幕を開けた。

fig.06 Dunk Low Pro B with Multi-Colors (2001)

日本市場限定のCOJP企画が世界のスニーカーファンを唸らせた00年代初頭から約20年の歳月を経て、昨年末にリリースされたバイオテックに次いで、2020年2月にはプラムがダンクローSPの名義で復刻される。当時は斬新だったマルチカラーのスエードアッパーも今ではむしろ素朴で、アメリカンな色調もどこか懐かしい。今なお色褪せることのないCOJP企画のダンクのポテンシャルの高さを証明した。

 

今後ともUNDEFEATEDを宜しくお願いいたします。


岸 伸和

Nobukazu Kishi Exclusive


  1972年生まれ、神奈川県出身。雑誌『Boon』(祥伝社) にてライターとして活動を開始。90年代のスニーカー全盛期には同誌のスニーカー特集や別冊の多くを担当、以降ライフワークの一環としてスニーカーを嗜んでいる。近年はアパレルブランドのカタログやWEBコンテンツの制作ほか、ブランドやクリエイターの活動をアーカイブした書籍を手掛ける。

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