2002年の設立から現在まで。実に22年もの⻑きにわたり、ワールドワイドなプレミアムスニーカーブティックの一角として、そしてスポーツカルチャーを包括するトータルブランドとして、世界中のヘッズから称賛を集め続けるUNDEFEATED。その創業者のひとりでもあるJames Bondに、いま改めて、スペシャルインタビューを実施。
自身のキャリアやパーソナリティ、チームとしてのビジョン、そしてファッションカルチャーの行く末まで。様々な領域へと広がる立体的なトークセッションから、UNDEFEATEDのコアを読み解く。
-まずはJamesさんの現在までのキャリアについて教えてください。
最初に需要と供給の何たるかを学んだのは、大学の友人が始めたバレーパーキングでの仕事ですね。その後、クロスカントリーの友人たちを通じて、バレーパーキングの経験はカリフォルニアの“Nana”という会社での仕事に繋がりました。そこは“Dr. Martens”の卸売業者で、これが私にとってのシュービジネスの最初の一歩と言えますね。たくさんの“Dr. Martens”を売りました。大きなビジネスだったんですが、24ヶ月の間に急成⻑し、そして破綻してしまいました(笑)。
突然仕事を失った私は、近所の人が携わっている映画の仕事を手伝い始め、フィルムの世界に入りました。アート部門に所属し、セットを制作したり、プロップマスターやセットディレクターが望むものを設置したりするような仕事です。その後ロサンゼルスからニューヨークへ移り、ʻ94年からʼ00年くらいまで、ミュージックビデオの制作をしていました。そしてまたロサンゼルスに戻り、自分の最初のショップ、“K-Bond”をオープンさせたんです。メンズ向けの小物、靴、洋服、書籍、アート、音楽などを扱う店で、“Nike”のJasonFoltonが店を気に入ってくれたことで、ロンドンへ招待されたり、(藤原)ヒロシの“Nike HTM Air Woven”を取り扱うことに繋がりましたね。それから私たちはたくさんのカラーウェイを売り、“Nike”とのやり取りを重ね、それがやがて“UNDEFEATED”のオープンに繋がった、というわけです。
キャリアの略歴はこんなところかな。これまで私が後戻りではなく前進し続けてこれたことは、とても幸運なことだと思っています。
-現在、UNDEFEATED内での役割や責任は?
創設者という立場の私は、もう日々のオペレーションに細かく携わることはありません。23年の歳月を経て、今はとても有能なスタッフたちが運営業務を担ってくれています。私の仕事といえば、我々が20数年前に設定したコースを確実に歩むための、ガードレール役を務めること。自分たちのノーススターを見失わないよう、今のスタッフたちのアドバイザーとして目を光らせることくらいです。
-では、Jamesさんの生い立ちやストリートカルチャーに関わったきっかけを教えてください
私はフィラデルフィア出身で、父は黑人、母は白人です。主に黑人が多いエリアで育ちました。父はそのエリアで服屋を営んでいて、音楽、アート、ファッションは、常に私たち家族の生活の中にありました。母は看護師だったので一般的な家庭環境だったと思いますが、同時に父はミュージシャンやアーティスト、アスリートなどにも服を販売していたので、幼い頃から必然的に、そういったカルチャーに浸っていました。中でも特に音楽とスポーツが大好きだったので、常にスウェットパンツ、スニーカー、ギア、ユニフォームを身につけていました。そういう意味で、ファッションは機能面からの延⻑線で興味を持つようになったと思います。
-どんなスポーツをしていたのですか?
フットボール、レスリング、陸上です。当時はみんなそういうスポーツをしていました。当時はビデオゲームで遊ぶなんて選択肢はなかったからね。暇なキッズたちは、常に外で何かをしていたんです。道端でフットボールをしたり、放課後にバスケットボールをしたり、いつも動き回っていました。だから私が着ていたものは、私のライフスタイルをを体現していたと言えますね。それは今日まで、自分のスタイルに影響していると思います。
-UNDEFEATEDの設立のきっかけや、インスピレーションを教えて下さい。
至極ありきたりなことですが、ただただ自分たちがやっていたことに突き動かされていたんだと思います。既にショップはありましたからね。映像業界で働いていた頃もそうですが、仕事自体がライフスタイルだったんです。仕事中はもちろん、仕事以外でも本を見たり読んだりしながら、自分の仕事から常に何かインスパイアされていました。UNDEFEATEDにとってのインスピレーションも、事業を行う私たち自身のライフスタイルでした。
そこには友達がいて、自分たちがやっていることに情熱があって、考え方や世界観を共有していた。ランチも、ディナーも、仕事の後も、常にともに時間を過ごしていました。この新しいビジネスが生まれるエネルギーの波に乗っていたというのかな。今ではそういった仕事のスタイルも珍しくないですが、当時の我々にとっては、9時から5時の労働ではないということ自体が、新鮮で画期的なことでした。決まりもルールブックもなく、ただひたすら前進し続けることができたし、そのおかげで多くのことを実現できたと思っています。
-UNDEFEATEDとご自身のクリエイティビティ、仕事に向かううえでのコンセプト、目標、マインドセットについて教えてください。
コンセプトは、私たち個人のインディビジュアリティそのものです。つまり、どのプロジェクトにもストーリーがあり、そのストーリーは必ず、我々の誰かが実際に経験や体験をしたものに根ざしている、ということ。デザインの目標は、もちろんオーセンティックなギアを作り続けること。そして自分たちの声を発し続けることです。誰もが異なる視点を持っていて異なる表現方法がありますが、プロジェクトの根本に立ち返った時に、それが同じノーススターに向かっていることが大切です。
-UNDEFEATEDのユニークな点やこだわりとは何ですか?
強調すべきユニークな点は、UNDEFEATEDで働いている個人個人です。
我々のチームは皆、自分自身のビジネスであったり、クリエイティブな人と仕事をしたり、異なるブランドで働いていたり、それぞれ様々な経歴を持っていますし、『ストリートウェア・カルチャー』と呼ばれるこの業界の黎明期を支えたOGたちも数多くいます。
-では次に、現在のシーンについて率直な意見を聞かせくてださい。スニーカーやファッションブティックが将来どのように進化し成⻑すべきだと思いますか?
正直なところ、ある意味限界だと思っています。私は、必ずしもスニーカービジネスがハイファッションに積極的に絡んでいくべきだとは思っていません。それと、今は間違った人が間違った席に座ることが、簡単にできるような気がしています。ファッションデザイナーやその他のプロフェッショナルになるために、学校に通ったり一生懸命努力している人がいるにも関わらず、インスタグラムのフォロワーが多いからという理由で、何もないところから突然飛び出してきた人が、その席に座ってしまう。残念ながら現在のファッションシーンではその傾向が特に顕著で、私たちのビジネスも、そこで行き詰まりやすくなっているように感じます。
さらにここ数年、COVIDのおかげで私たちのビジネスやその風景は、大きく変わってしまいました。これまでのように仕事をする代わりに、家にいることを余儀なくされ、スクリーンを見続け、スウェットパンツとスニーカーでいることがほとんどです。スウェットパンツとスニーカーは私たちにとってはラッキーですが、ファッションシーンの進化にとっては良いことではなさそうですよね。そして人々は、リアルな人々と空間を共にするのではなく、ソーシャルメディア上で同じようなキュレーションされたコンテンツを見て、同じようなスタイル、同じような色使いの服を着ている。個性的でいようとしている人でも同じように見えて、全てが均一化しているように思えます。
シーンはどのように展開するべきか?その答えを私が持っていたらいいんだけどね。でも、我々のチームなら必ず道は開けると思っています。私たちは今、誰もが同じ泥沼にはまっていて、誰もが同じ考えに浸らされています。そこから抜け出すのは容易なことではないですよね。
-率直な意見が聞けて良かったです。では次に、オリジナルアパレルについてお話しいただけますか?こだわりなどは?
オリジナルのアパレルラインは、必要に駆られて始めたというのが、実際のところです。スニーカーの壁が半分を占めているショップを営むには、当時はスニーカーと相性のいい商品を取り入れて、ビジネスを補う必要がありました。そこで当時あまり活用していなかったグラフィックをスポーツチームのロゴに見立てたりして、Tシャツ、トレーナー、帽子、靴下、バッグなど、スポーティーでスニーカーに合うデザインを作り始めました。今では頭からつま先までのランナップに拡大しています。
4シーズンに加え、年に数回の限定リリースを行い、パファーコートからタンクトップ、アンダーウェア、スライドまで、あらゆるアイテムを展開しています。今でもスポーツに根付いたデザインで、タイムレスなアイテムを展開していますが、トレンドを加味したものも加わっています。時には、アメリカ、日本、中国など、異なる地域でアイテムの捉えられ方も異なりますが、それも面白いと感じますね。
-今後はオリジナルアパレルをどのように進化、拡大させていきたいと思いますか?
それは先ほどのファッションについての質問、ファッションという言葉が何なのかということにも関わってきますが、我々はアパレルラインのセグメント分けを始めています。このビジネスをやる以上、ファッショナブルでありたいという消費者のニーズにも応える必要があります。同時に、トレーニングセンターに来る人たちの、技術や機能へのニーズにも応えたい。なので、ストリート、フィールド、ジムなど、違ったシーンへ向けてアイテムをセグメントし、市場とともに進化し続けなければいけないと思っています。
-トレーニングセンターといえば、ロサンゼルスにあるプライベートジム施設 UACTP(Undefeated Action Capabilities Training Program)の設立について教えて いただけますか?
始まりは個人的な理由でした。以前私は柔術の練習のため、移動に2時間かけていました。運転とトレーニングで一日の半分を潰してしまっていたんです。そこで、会社の近くに場所を見つけ、ジムを作ることにしたんです。当初のコンセプトは、セレクションベースのトレーニング施設でした。アメリカの“GYM JONES”という会社を参考に、機能的で実生活に応用できるトレーニングを教えていました。ただ、そういうトレーニングをしている人は少数派か、特別なアスリートが多いんです。
その後、COVIDの影響で運営を縮小せざるを得なくなってしまったので、家族や友人のメンタルヘルスを保つために、スピークイージーのようなジムとして、身近な人に向けてオープンしていました。それ以降は、コミュニティベースのグループレッスンを多く行っています。変わらず柔術の練習もできますが、ファンクショナルトレーニングをベースにしたクラスも増えています。良いスタッフが働いているので、ブランドのお客さんにもたくさん来てもらいたいですね。このジムをニューヨークや東京でもやれたらいいと思っています。
-では次に、
"UNDEFEATED FOUNDATION"について、その目的とビジョンを教えてください。
私たちは常に地域社会に貢献したいと思ってきましたが、そのことについて語ることはしてきませんでした。地域貢献したことを自慢するよりも、実際の活動で示す方がよっぽど気持ちがいいでしょう?
そんな中で設立に至った大きなきっかけは、ロサンゼルスで起きた市⺠運動でした。清掃や給食のような1日だけの活動では不十分だと感じたので、少しでも多くの人に前に進む機会を与えるため、財団を設立したんです。私個人は、これまで幸運にも多くのチャンスを与えられてきました。だから今ここに座って話をすることができているけれど、すべての人に同じようなチャンスがあるわけではありません。
“UNDEFEATED FOUNDATION”は、教育、健康的な知識、体力づくりに根ざした財団です。支援団体や教育団体を支援し、スポーツチームやアスリートのスポンサーとしても機能しています。また“Nike”はこの財団の大きなサポーターで、スーパーボールなどの大きなスポーツイベントで環境体験やポップアップを行う際にも、度々協力してくれています。
-ブランドが掲げる
"UNDEFEATED is the future of global sport culture" という言葉では、具体的にどんな未来を描いているのですか?
よりスポーツに根ざした存在になること。それはつまり、サッカーからモータースポーツ、eスポーツに至るまで、チームやイベントのスポンサーとなることです。
あらゆるスポーツのプレイヤーたちが、フィールド上、コート上で私たちのロゴを着用している未来、そしてユニフォームのスポンサーとしても広く一般的に知られる未来を思い描いています。
バスケットボールコート、フットボールフィールド、野球場など、様々なスポーツの現場で、私たちのロゴを当たり前に目にしてもらえるようになったら嬉しいですね。
-最後に、日本のマーケットについての思いを教えてください。
日本でのUNDEFEATEDは15〜16年ほどのビジネスになりますが、私にとってこの国は、いつも大きな流れの出発点のような場所です。日本のクリエイティブな人たちと出会い、彼らの思考プロセスを聞くことは、本当に刺激になります。私は、日本の人々が物事に対してとても繊細でシビアな視点を持っていることを、素晴らしいと思っています。そして日本でのブランド運営を自分たちの手に取り戻した今、私たちのブランドのあり方を、ここで改めて認知してもらうことが重要だと感じています。
日本には多くの店舗がありましたが、業界や時代が変化する中でグローバルブランドとして成⻑する我々にとって、日本でのビジネスを再構築し、しっかりとブランドと共鳴させ、ブランドを体現する店舗を持つことが必要になりました。適切なロケーションに、ブランドの魅力を伝えられる適切な店舗を構えること、それが今の私たちにとって重要なことです。そしてその場所から、UNDEFEATEDらしいスタイルを提供していきたいと思っています。